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Lilly Pulitzer

d0235123_1123626.jpg日曜日は大好きなブティック、Lilly Pulitzerでお買い物をしました。アメリカで買う洋服のほとんどが、日本と比べ物にならないほど、生地が弱くて、ほつれやすく、数回洗濯したら寿命が来てしまうものが多いです。そのため私はニューヨークに来てからも、ずっと日本の洋服を実家から送ってもらったり、帰国した時に買いだめして着続けていました。でもこのLilly Pulitzerは縫製がとてもしっかりしていて、さらにデザインも可愛いため、大好きです。
日本ではブティック展開していないですし、日本ではなかなか見かけないデザインなので、ニューヨークで買い物する価値がありますね。こういうデザインが好きな方には是非オススメです。今日は2つワンピースを買いました。
価格帯は大体$100~$200くらいです。
d0235123_12331324.pngこちらは少し派手ですがパーティー用です。ピンクのヒョウ柄です(笑)
d0235123_1112208.png一目ぼれして、即買いでした。これくらいの価格帯であれば、手が届かない価格ではないし、なかなか買い物に出かける時間がないので、気に入ったら迷うことなく買ってしまいます。
店内はとても素敵なインテリアです。私はいつも自宅に近いマディソンアベニューの路面店に行きます。
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普段ならここまででお話は終わりなのですが、ついでにデザイナーである「Lilly Pulitzerさん」はどんな人なのかリサーチしてみました。するとこのブランドについて色々興味深いストーリーを知ることができました。

Lillyは1931年にニューヨークの著名な石油王の家に生まれます。20歳の頃にニューヨークに住むフロリダのオレンジ農園主の息子さんと知り合い、両親の反対を押し切って、フロリダのパームビーチへ2人で駆け落ちをしてしまいます。そこで、2人は結婚して、Lillyはオレンジ農園を手伝うことになります。
しかし農園の仕事に面白さを見いだせなかったLillyは旦那が摘んだオレンジでジューススタンドを営むことを考えます。
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毎日ジュースを絞るのですが、オレンジジュースが彼女の洋服の袖部分に飛び散ってしまい、すぐに汚れてしまいます。
そこで彼女は工夫して、袖なしでオレンジジュースが飛び散っても目立たないような派手な柄のワンピースを着るようになります。時には自分の家のカーテンを自分のワンピースに仕立てたりしたそうです。

するとこのワンピースがオレンジジュースを買いに来るお客さんたちに大好評で、たちまち有名になります。それから彼女はオレンジジュースを絞ることよりもフロリダを象徴するようなシトラス、パーム、花などが描かれた派手な柄のワンピースをデザインすることに熱を注ぐようになります。
これがLilly Pulitzerブランドの始まりです。

そしてLillyの高校時代の同級生があのケネディー大統領の妻、ジャックリーヌであり、ジャックリーヌが彼女が仕立てた洋服を着て、雑誌の表紙を飾ると、瞬く間にアメリカ中に知れ渡り、一躍人気ブランドになり、現在に至ります。

フロリダの農園を営んでいる旦那さんとは離婚をしてしまい、その後他の男性と再婚して名前が変わるのですが、今でもLilly Pulitzerというブランドネームは変えずにいるそうです。

ビジネスをひらめいた時にタイミングを逃さず、未開の分野に転身したスピードと人脈を生かしたプロモーションから学ぶものは多いのではないかと思います。
自分がただ好きであったブランドにはこんな奥深いヒューマンストーリーがあったとは驚きでした。

現在もLillyはフロリダのパームビーチで2番目に結婚された方の最期を看取り、1人で余生を送っているそうです。

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by kanagourmet | 2012-08-29 13:24 | Comments(3)

エリス島で考えるアメリカ移民史とアメリカンドリーム

今週土曜日はIndian American(インド系アメリカ人)のRくんと一緒にエリス島移民博物館に行ってきました。
Bowling Greenの駅を降りてハドソン川沿いにあるチケットオフィスでリバティー島とエリス島両方に訪れることができるチケットを購入しました。


まずは自由の女神をフェリーから眺めます。
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リバティー島に停泊したあと、今回の目的地エリス島に到着です。

エリス島はエリス島移民博物館があります。
d0235123_014737.jpgここは1892年から1924年までアメリカに移民で来た人が移民手続きを行う場所でした。1200万人以上の人たちがここを通じてアメリカに入国し、現在1億人以上のアメリカ人の祖先を辿ると、ここで移民手続きをしてアメリカ各地に散っていったと言われています。この建物は1980年代の改修後、エリス島移民博物館として1990年9月に開館しました。ここではエリス島のかつての役割を後世に伝えるだけではなく、4世紀に渡るアメリカ移民政策の博物館としても機能しています。

d0235123_0392148.jpgまずはエントランス右手にあるカフェでお茶をしました。ミネラルウォーターの背面は自由の女神が描かれていました。ペーパーナプキンも自由の女神とエリス島博物館オリジナルです。この2つはお土産にいいかもしれませんね!
博物館内部をご紹介します。
1550年からエリス島には大西洋を渡りヨーロッパ、アフリカから、はたまたアジアからは太平洋をわたり、大陸を横断して人々が押し寄せました。エリス島には多くの移民たちの荷物が届くのですが、混乱を極めており、当時は荷物が持ち主に無事に届くことは稀だったようです。当時の写真です。d0235123_044343.jpgd0235123_0445350.jpg
どうしてアメリカに世界各国から人々が押し寄せたのかというと、大きく分けて2つあります。①「機会を求めて」②「意に反して」です。

まず①についてですが、18世紀ヨーロッパは産業革命が起こり、工場制機械工業が導入され、これに伴い産業および社会構造も変革しました。
これで大きな打撃を受けたのは平民で、アイルランドでは地価が高騰し平民が住める状態ではなくなり、イギリスやドイツでは職人たちが機械化によって職を失いました。そういった人々が新しい機会を求めてアメリカ大陸を目指しました。
アメリカに到着した移民たちは、ニューヨークでは安アパートを数家族で共同して借り、寄り添って生活していました。
(以下2つは今年3月に訪れたテナメントミュージアムです。当時移民たちが住んでいた小さいアパートをそのままミュージアムにし、後世に移民たちの厳しい生活を伝えています。くわしくはこちらの日記をご覧下さい。)
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そして時代は変わりますが、1850年代になってからは特に中国からの移民が増えました。その理由は中国政府による圧政や税金政策、さらには飽和化した国内市場に限界を感じた中国人たちが、ゴールドラッシュを求め、アメリカのカリフォルニアにやってきました。d0235123_1245542.jpg妻子を残して一時的な労働者としてやってくる人もいて、そういう人たちはアメリカ人の経営者に安い賃金労働者として歓迎されていました。彼らは鉄道を作り、鉱山を発掘して、成功した人はビジネスを始めました。西海岸では中国人が勢力を増してことに対して脅威に思うアメリカ人が増えて、共に差別意識も強くなってきました。1882年にアメリカ政府は「Chinese Exclusion Act」を施行し、中国人の移民を制限しました。

②の「意に反して」アメリカに来た人々とは奴隷達のことを指します。
d0235123_1295567.jpg17世紀から19世紀初頭までアメリカに上陸した人達の半分は自分の意に反してアフリカから連れてこられた人々です。人類史上最も大きい人種の移動は奴隷貿易だそうです。ゲルマン民族大移動ではないんですね。
奴隷貿易はヨーロッパ人の植民者がアフリカで原住民を「捕獲」して左のような奴隷船に乗せてアメリカ大陸に連れて来ました。同じ人間としてアフリカ人を「物」のように扱っていたことに対して、本当に許せない思いがしますが、当時はこれが社会通念としてまかり通っていたんですね。

d0235123_21912.jpg連れてこられたアフリカ人は左の写真のように「奴隷市」にかけられ、主人に買われていかれました。そこではプランテーションで重労働をしたり、召使として主人に仕えていました。また中南米諸国に売られることもあったそうで、そこでは輸出するためにタバコ、綿花、砂糖、米などを作っていました。
彼らの労働はアメリカ、そしてヨーロッパ諸国に搾取され、これらの国の大きな発展を支えていました。


さて、エリス島博物館は①の「機会を求めて」アメリカにきた人たちに設けられていた場所なので、話は元に戻ります。

アメリカに到着した人々は下記の図のようなルートでアメリカ国内に散って行ったそうです。
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博物館内のオフィスでは、アメリカ人が自分たちのルーツを調べられるデータベースも充実していて、熱心に読みいっている人たちもいました。自分の祖先が○○人と●●人から来ているということがわかるそうです。
単一民族である日本人には、感覚的に理解するのが難しいですね。

さて博物館の2階は「Registry Room」となっており、移民手続きを行う場所でした。
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d0235123_2174521.png当時の様子はこんな感じでした。尋問を待つ列はフェンスで囲まれており、皆用意された椅子に座って自分の順番を待っていました。移民の10人に1人程は尋問に引っかかり、奥にある裁判所に連れて行かれて、移民裁判が即興で行われたそうです。


以上で博物館のご紹介は終わりとなります。

マンハッタンにフェリーで帰る時には、一緒に来た友達のRくんとアメリカンドリームについて語りました。
彼もインドから移民してきた人です。今回の博物館来訪にもってこいディスカッションかと思いました。
「アメリカンドリームって今でも存在するの?」
というのがテーマでしたが、私の意見は「No!」です。
アメリカに来て最も驚いたことは階級社会であるということです。裕福な家庭で生まれた人はずっと裕福なまま、そうではない家庭で生まれた人はなかなか自分の出自を変えることができないのです。アメリカ社会と比較していかに日本は平等な社会であるかということを実感しました。
アメリカはお金がなければまともなものも食べれなく、医療・教育さえも受けることができません。社会的流動性(Social Mobilityって英語を使ったのですが、果たして正しかったのかわからないです。。。)が極めて低いのです。
こんな中、アメリカンドリームで一発逆転をして成功するなんて、どうやったら出来るのでしょうか。
本当に1億人に1人くらいであるのかもしれないですが、「アメリカンドリーム」なんて名付けられるほど頻繁にあるわけではないです。

今回博物館に行って感じたのは、ここで紹介されていたアメリカ黎明期では一発逆転で大成功ということがよくあったのかもしれません。しかし発展し飽和化した現代では社会的階級制度がしっかり出来てしまい、階級によって分け与えられるチャンスの量と質が全く異なる気がします。

対して、Rくんの意見は「Yes!」でした。
彼曰く、「『アメリカンドリーム』についての定義は人ぞれぞれだけど、既にアメリカ人として生まれ育っている人は確かに厳しいかもしれない。でも他国から、特にアメリカより発展途上国である国から来た人にとっては、毎日がアメリカンドリームかもしれない。」ということでした。
私と「アメリカンドリーム」の起点が違う意見でしたが、インドで生まれ育ち、ケニアで中高時代を過ごしアメリカに来たRくんの経験値に基づいた意見だなと思いました。

経験豊かで歴史知識もあるRくんと博物館に一緒に行けて、とても勉強になる1日でした。
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by kanagourmet | 2012-08-27 01:39 | Comments(3)